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米沢嘉博図書館イベント:創作系同人誌の半世紀 [レビュー:マンガ]

【レビュー:マンガ】

お久しぶりです。近況は、最後の方に。

今回はマンガのレビューではなく、マンガを題材としたトークイベントのお話。
先日、明治大学米沢嘉博記念図書館で行われたトークイベントのメモです。

【追記】今回のエントリはメモ的な要素が強く、あまり俺個人の価値判断や、解釈を前面に押し出してはいません。感想もあまり書いていません。その点、ご理解ください。

※基本、mixiと連動させたこっちのブログでは研究系の話は出来るだけしないつもりです。ただ、今回の内容は、ちょっと数人のお友達に向けて、話の種として公開したかったので、研究会ではありませんが、トークイベントの内容をまとめてみました。 同イベントの内容を第三者向けにバランス良くまとめたものではありません。あくまで、トニイ(ぱわふる)の個人的な関心を中心にメモした内容を、ネタとして書き出すのみです。 また、病み上がり+仕事がキツイ状況での観覧だったため、結構聞き間違いがある可能性があります。その点、ご容赦を。あくまで大意的な要約ですし、聞き漏らしたこと、うまくまとめられてない可能性が高いです。また、全体を順序立てて並べてもいません。なにかのソースにする場合は、要注意です。


イベントは2010年8月29日(日曜日)の16:30-17:30に行われました。観覧者は15名程度でしょうか。当日はコミティアというイベント(私は全く存じません)や、他にもマンガ系トークイベントがあったので、多くの人がくるのを想定はしていないようでした。

タイトルは「創作系同人誌の半世紀」。著名な創作を主体とした同人団体「作画グループ」のばばよしあきさんと、みなもと太郎さんがパネリストとして参加なされていました。

「作画グループ」は、聖悠紀さんの『超人ロック』に聖さんと並記で並んでいるのを見たことがある人もいるでしょうね。聖さんの抱える作画プロダクションだと思っている人もいるでしょうが、実は違います(ハイ、俺は昔そう思ってました!!!)。聖さんが参加している、同人団体の名前なんですね。聖さんはプロとして作品を発表しつつも、この団体で作品を発表したりしていたようです。超人ロック自体も、「作画グループ」で発表されていた?(作品を作っていた)ところがあるようです。

【追記】 あとで思い立ってしらべたのですが、アマゾンなどでは『超人ロック』の著者としては作画グループの並記はないようですね。何かで並記してあったのはハッキリと記憶にある・・・つもりなのですが、勘違いかもしれません。ご存じの方は教えてください。


少年キング版は読んでましたが、完全版がでてるんですね・・・。続編もいろいろでているようです。恥ずかしながら続編は読んでおりません。

その作画グループの代表者がばばよしあきさんです。

みなもと太郎さんは、『ホモホモ7』『風雲児たち』で著名なマンガ家さんです。独特の絵柄はファンも多く、私も高校生の時に、参加していた同人グループのお仲間さんに紹介していただき、読みました。『風雲児たち』は恥ずかしながら通しては読んでません。かなり、ばらばらに読んだ程度です。一度、通読せねば・・・。

現在は幕末編が連載されています。ギャグマンガ、みんな好きだよね? ね!


【図書館について】
米沢嘉博さんは、コミケ準備委員会の代表やコミケットの取締役を勤めた方で、編集者や、漫画や大衆文化の批評家をなさっておいででした。2006年に逝去なされ、母校であった明治大学がその蔵書を受け継ぎ、記念図書館を設営しています。

米沢さんが蒐集なさっていた貴重な文献や、多くの同人誌を蔵書することとなりました。現在は開館していますが、いまだに多くの本が整理中です。この図書館は、後に建設されるより大規模な図書館群のひとつとして接続されます。

こういった経緯で、蔵書には多くの同人誌があり、このため、同図書館は、この夏に同人誌あるいは同人活動に関するトークイベントを複数企画しました。米沢図書館らしいイベントであり、非常に有意義なシリーズとなっていますね。今回は同図書館1Fで、企画展示コーナー「同人誌の小宇宙 ─米沢コレクションを中心に─」を行っており、その関連イベントとしてトークイベントが組まれていたわけです。


【トークイベントの概要】
さてさて。今回は、同人活動の中でも、創作同人で著名であり、多くのプロの作家が在籍していました(プロ作家を排出、というとばばさんは同意しないかもしれませんね)。非常に長期にわたって活動を続け、しかも同人団体として、商業誌に作品を掲載するなどしていました。

「作画グループ」の元になったのは、ばばさんが中高生の時に作った同好会(1962年、14歳の時がはじめてとの頃)で、1965年には「作画グループ」の名称になり、回覧同人誌を発行するなどしたようです。

雑誌『COM』で、読者と雑誌をつなぐ「ぐら・こん」が始まり、日本の各地域に支部が作られると、ばばさんはここで関西支部長に。ここでの活動を通して、多くの方々(編集者やマンガ家、読者など)と交流を持ち、また「作画グループ」の活動は、COM誌上で全国まんが同人誌の優秀作に選ばれるなど評価されました。この時期に、「作画グループ」の同人も多く参加して、ぐらこん関西支部としてマンガ本『ぐるーぷ1』を出版したのでした。

今回の話は、「作画グループ」創世記の60-70年代の話に終止し、その同時代の人的関係に焦点を当ててお話をされていました。よって、その時代の知識がオーディエンスにも求められる結果となりました。残念ながら私は知識不足でして、あたまに「はてなマーク」を浮かべながら聞いていましたが、開場に来ていたオーディエンスのほとんどが私よりも世代が上の方で、普段からこういうイベントにいらっしゃっているようでした。皆さん顔なじみの方が多かったような印象を受けましたネ。


――――――――――――――――――――――――
さて、大枠を説明したところで、関心を持って聞いたところの抜粋です。
基本箇条書きで、バランスを取った書き方をしておりません。ご容赦を。
緑の文字がその時に取ったメモ、それ以外は私の感想です。話したそのままの言葉遣いではありません。

●藤子不二雄Aの『マンガ道』に対して、みなもと太郎の『マンガ道』というのも、マンガ史としてあったら面白いだろう(みなみと太郎)。

→この手のマンガ史を語る際に、ときわ荘に意識が集中している事への問題提起。ときわ荘以外にも、その後のマンガへと連なる活動は沢山あったし、みなもと太郎さんの周りにも、そうしたマンガ家同士の人の繋がりがあったということ。これは是非、作品として読みたいですね。

→そういえば、近年、辰巳ヨシヒロの『劇画漂流』や、時代は下りますが小林まことの『青春少年マガジン 1978~1983』のような、ときわ荘以外のマンガ家たちの伝記漫画が読めるようになりました。ときわ荘以外の全国的な動きが多層的に、他地域的に見渡せるようになれば、これはとても良いことですね!

●規制のない同人活動というものが大切(ばばよしあき)。

→プロ作家であった水島新司さんにCOMの編集者を通して出会ったときに、プロのすごさを実感したという流れでお話になっていました。関連づけて話をしたわけではなく、ふと思い出して話したという感じでした。商業誌や編集のいないところで、制約なくマンガを書き上げるという行為の大切さを言っておりました。

同様なニュアンスのお話はこの後しばしば登場し、ばばさんがひとつ大切なこととして捉えていることがよく分かりました。

※なお、このときに、私の隣に座っているのがマンガ家の宮脇心太郎さんであることがわかりました。「作画グループ」の「回覧」同人誌が観覧席を回ったときには、じっくりとご覧になっておいででした。

●ぐら・こんの活動は、みんなで何かをつくるようなものであった(ばばよしあき)。

→関西支部で『ぐるーぷ1』を出版したことは大きな経験であったことが語られました。そのポジティブな面、ネガティブな面はいろいろあったようですが。出版社にお願いして、カバー付きのマンガ本を印刷し、各書店にお願いして、本を置いてもらうなどしたようです。出版にかかった費用は、当時で25万円。3000部作成、1000部が返品だったそうです。

→当時の一般的な社会人の収入からしても高いものでしたが、ここでの経験はお金に換えられないものであったとおっしゃっておりました。

●アマチュアの「作画グループ」が商業誌に挑戦することは、アマチュアだからこそ妥協できないものであった。(ばばよしあき)

→70年代になると、作画グループが共作でマンガを商業誌で発表する機会が生まれました。編集者とのやりとりのなかで、締切などとは無縁の状況で、時間をかけて作品作りを行えたとのこと。また、それを受け入れる土壌もあったようです。

●みなもと太郎は、50歳を過ぎてコミケに参加。「同人」誌ではなく「個人」誌としての参加。

→同人誌と個人誌の違いについての言及。コミケの参加は必ずしも「同人活動」ばかりではない。本筋の話ではないので、簡単に触れただけでしたが、コミケを表面部分でしか知らない私のような人間にはこういうコメントこそ、大切に感じます。

→同人であるからこそのコミケ、という感覚がどこかにあり、それが性善説のようにコミケ概念で中心部においちゃっている人もいるのではないでしょうか。しかーし、50過ぎてからコミケ参加っていいですね! 俺もいまだに参加どころか、いったこともありません。50歳になったら、いってみようかしら?

→さらに勝手な個人的コメント。あと10年20年したら、60-70代でのコミケ参加もどんどん増えそうですね・・・。そういうコミケって、実はすごく見てみたいし、魅力的な気がします。ただ、体力に要注意・・・。点滴を打ちながら会場をさまよう・・・『老人Z』がでてくるかもよー?

●作画グループの中には多くのプロ作家が居たので、同人誌をだす場合には商業誌では読めない+αを出すことを意識した(ばばよしあき)。

→プロの作品は商業誌で、しかも安く読める。これに対して、「作画グループ」の同人誌は同じプロ作家が参加していても、値段は高い。ゆえに、それだけの価値観を出していきたい、という意識があるようです。

●最近のマンガにうまいものが少ない(ばばよしあき)。

→20年ほど前から、ヘタウマという表現がでてきたのと時期を同じくして、編集の力がなくなってきたのではないか、というお話から。少しフォロー気味でしたが、それがゆえに最近のマンガはうまくないというニュアンスのことを話してました。

→ここで言う、うまくないというのは、綺麗で緻密な絵を描けないと言うことではなく、ストーリーやコマ割りなどで見せる……読者を唸らせる巧いマンガが描けてない、ということでしょうね。

→例としてですが、例えばヒカルの碁からデスノートにかけての小畑健を取り上げて、緻密化していく「絵」に対して編集の介入が必要だったのではないか、というニュアンスのお話もなさっていました。私も確かに一枚絵としてのうまさ、ノリ切った感じは実感しましたが、他方でマンガ表現として、主題を邪魔してしまう側面もあったんじゃないかなあ、と感じています。俺も、小学生の頃かな、小畑さんの『サイボーグGちゃん』の絵柄にはまっていたので、ちょっと偏見かもしれませんね。とまれ、現代マンガでは編集の力が弱くなっているのではないか、というひとつの例ですね。

●書店で同人誌が置かれるようになって来ているが、書店にある以上、同人誌は商業誌と区別されるべきではない(ばばよしあき)。

→最近の書店の中には、「同人誌コーナー」を設置して、同人誌を売ることをひとつの販売手法としているところもある。ある書店から、「作画グループ」の同人誌をおいて欲しいということを言われたこともあるが、質の高いものが出来た場合には良いと返事をした。実際にその後に質の良い本が出来たときには、出版物として書店に並べてもらった、という話。ここには、同人誌として書店に本を置いてもらうのではなく、ひとつの出版物として取り扱って欲しいという、ばばさんの意識が読み取れました。

●商業誌に対して意見を言えること(ばばよしあき)。

→すみません、このあたりうっかりメモが汚くて読めません(笑)。ちょっと別のことを考えて聞いていたこともありますが・・・。同人誌だから商業誌とは違う手法でマンガを書いたり発表できるというお話だったと思います。

●作家と会うことの大切さ(ばばよしあき)。

→ばばさんも、みなもとさんも、この部分をかなり大切にされているようです。プロ、同人を問わず、多くのマンガ家や編集者などに会うこと、人的つながりを広げる事で、得た多くの知識経験があるとおっしゃっておりました。

→例えば、COM編集者の案内で、連載を抱えている手塚治虫の仕事場に行き、編集者四人がカリカリしながら待っている横で、手塚さんの書庫を案内してもらったこと。そこで、世間には知られていない?『宝島』のバージョンを目にしたことなど。

→他の人の蔵書に触れるというのはすごく大切だと俺も思います。研究者の私は、学部、大学院時代の恩師や、たくさんの先生の研究室の本棚をみることで、いろんな発見をしています。どの先生の部屋にいっても新たな発見があります・・・。ばばさんも、そういう知的興奮を、手塚さんの部屋をみて、思ったのでしょう。

→閑話休題。編集者のおかげで見ることができた手塚さんの書庫。同人サークル、マンガ家の知り合いなど通して得た知己。そういうものが折り重なって、マンガ史を生み出している。そういう集積をもっともっと語りたい、そうばばさんも、みなもとさんも、そう考えていらっしゃるようでした。

――――――――――――――――――――――――
【質疑】
さて、質疑の時間があったので、図々しく、もいくつか質問させてもらいました。自分が尋ねたもののみ、掲載します。

ばばさんへの質問
Q:ファンの集いとしての共同体的な同人活動ではなく、漫画作品を発表していくという創作同人活動について。共同作業として作品を作るときに、全国規模の同人であるがゆえに、世代格差や地域格差というものをまとめたりしていくようなことをなさったでしょうか?(大意) 

(なお、これは、作画グループの『銀河を継ぐ者』(講談社、フレンドKC、1981)を参考にした質問でしたが、うまく説明ができずに、ばばさんは、作画グループの同人活動での個々人の作品の提出の際にどうかかわったかと質問を受け取ったようです。)

A:作画グループで作品を出すときに、何かしらの規制や制限などは設けなかった。とにかく、よい作品を書き上げてもらい、よい作品を載せるということをした。(大意)

みなもと太郎さんへの質問。
Q:『風雲児たち』を描くときに、例えば(1)歴史的な事実を調査して、それをマンガに構成する、(2)漫画を描くことで歴史的な事を知ってもらいたい、といような場合では意識としてはどちらを最優先させましたか? また、作画グループでの活動がこうした作品作りに影響したりしましたか?

A:どちらかといえば(2)であるが、ギャグを読んでもらいたくて描いている。調べて描いたこと(人物など)を、読者が読んで、始めてこういう歴史的事実があったことを知りました、という反応をもらうこともあるが、それは少し困った(照笑)。(大意)

実はこの質問は、回答を予想したうえでの質問で、お答えもほぼ予想通りとなりました。歴史学者としてここ4年マンガ言及に取り組む中で、いろいろ考えたことをシンプルですがこの質問に盛り込みました。この話は、いつか発展させて、歴史小説と歴史の関係の話として描いてみたいですね。

作画グループについての活動などでは、実際にばばさんに出会ったことなど、人の繋がりの大切さを繰り返されていました。どちらの回答にしても、みなもとさんの人柄が表れるような、やわらかな回答でした。私、惚れてしまいそうでしたよ(笑)。

※この後、雑誌『WINS』と作画グループの関係についてもお話なさっておいででしたが、他の方の質問からでしたし、これは俺の知識ではまとめきれません。簡単にだけお話していましたが、こうしたトークイベントでしか聞けない、とても大切なお話でした。来ていた人には、一番面白い話だったかと思います。でも、略(笑)。

――――――――――――――――――――――――
さて、いつも通り長くなっちゃいましたね。
メモのつもりでも、誤解がないように気をつけると長くなるなあ。
あくまで、参考までに、読んでみてください。


【近況報告】
都内の私立大学と、北陸の大学で非常勤講師をしています。

様々な問題提起をしながら学生に考えてもらったり、課題を出しすぎて採点でキツイ目にあったり、風邪を引いたが課題の提出日にしていたので38度の熱をだしながらも講義をしたり、充実した毎日です! ほんと! 

相変わらず、のほほんと、過ごしています。でも、専任の道は遠いですね(笑)、はい。

そんなこんなで、ではでは!
 
 
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黒執事 BL

もう見ました、面白いですね

by 黒執事 BL (2010-11-12 17:31) 

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